目標(目的)が無いから漠然と「不安」が付きまとう。
昨今の世の中を不安なしで生きている人はどれだけいるでしょうか?
昨今と言わず、人の人生において、不安を感じない人間は誰もいないのかもしれません。もしかしたらいるかもしれません。
不安を抱え、不安と向き合うことが人の一生なのかもしれません。
それは老若男女、一人ひとり様々であろうかと思います。
- お金の不安
- 病の不安
- 老後の不安
- 孤独の不安
- 就職の不安
- 仕事の不安
- 勉強の不安
- 子供に関する不安
- 親に関する不安
- 老介護の不安
- 人間関係(友達・恋人・夫婦・親子)の不安
- 将来の漠然とした不安
- 死への不安
このように書いてしまうと、世の中・人生、不安だらけですね。
何とも気が滅入ってくるとかこないとか・・・
目標(目的)が無いから「不安」が消えない
さて、少し前にどなたかのブログ(はてなブログではない)を拝見したときに、このようなことが書いてありました。(はっきりとは覚えていません)
"やりたいことも何もない。ただ漠然とした不安から、少しでも良い学校に入りたい、良い会社に就職したい、そんな思いでいる。
しかし、そのような思いで良い学校、そうでもない学校、または大手企業、中小企業に入ったとしても、そこには常に「不安」が付きまとう。
なぜならそこには「目標(目的)」がないから。
「目標(目的)」が無ければ、失敗も成功もない。"
確かこのような感じの内容だった気がします。学校だったか就職だったかも定かではありませんが。
そして、上のブログを見た時は、妙に「なるほど!」と思ったものです。
人間はつい惰性で生きてしまうことがあります。 それが良いか悪いかは別にしても、その中である程度の目標なり目的があったりすればいいのですが、現状が良くないと知りつつも惰性に流されてしまうのは、あまり良い傾向とは言えないようです。
そして惰性で動いている人は、何かしらの「不安」が常にうごめいていることがあります。そうでない人もいると思いますが(悪い意味でなく)
言葉で言うのは簡単ですが、やはりある程度の目標(目的)も無く、漠然と「成功したい」「良い人生を送りたい」「苦労しないで生きたい」と思うだけでは、「不安」は常に付きまとうことでしょう。
「成功とは?」「良い人生とは?」「苦労とは?」このようなことも人によって捉え方は様々です。ではどうすればそれらが満たさせるのか? をある程度具体的に目標として決める必要があるということでしょうか。
少しでも具体的な目標(目的)があれば、あとはそこに向かって努力をするだけです。
もちろんその過程でも「不安」は出てくるはずです。
「努力が実るのだろうか?」「このやり方でいいのだろうか?」「間違った目標だったのかも?」
それでも目標が定められていれば、努力によって不安を打ち消したり、軌道修正も出来ます。目標を改めてもいいはずです。
しかし、このような目標(目的)も無く、漠然と惰性で生きていると、「何をどうすれば自分は満たされるのか?」「このままで良いのか?」「この先の将来どうなるんだろう?」「何とかなるのか?」「このまま逃げ切れないのか?」
などと「不安」を振り払うことが出来ないのかもしれません。
そしてやる気も萎え、自暴自棄になったり、常にイライラしていたりなど。
気が付いたらいい歳したおじいちゃん、おばあちゃんになっているかも・・・
何でも良いから目標(目的)を持つ
「不安」の呪縛に囚われてしまうと、イライラや憎悪の感情が芽生えたり、自暴自棄で自分を責めたり、人間不信になってしまうなど、少し大袈裟かもと思いながらも怖い気がします。
「目標」とは、何も大それた設定でなくてもいいはずです。
将来の夢とか希望とかを設定できるなら素晴らしいことですが、そうではなく、単に今現在の「不安を打ち消すための目標」でもいいのかと。
- 将来こんな職業に就きたい。そのためにどんな勉強をすればいいのか。
- お金を100万貯めたい。そのために節約か副業か本業を頑張るか。
- ダイエットで5kg痩せたい。そのために食生活を変えるか制限をするか。
- やりたい仕事がない。では仕事以外で楽しめる趣味はないか。その趣味をするために都合の良い仕事は。
- 英会話を身に付けたい。では身に付けて何をしたいのか。
- 綺麗な字を書きたい。では綺麗な字で何を書きたいのか。
あまり良い具体例を示せていませんが、よく言われていることでもあります。
単に漠然とした目標(目的)を立てるだけでなく、やはり出来るだけ具体的な目標や手段が必要になるかと思います。
「女性にモテたい」
「お金持ちになりたい」
「有名になりたい」
「全うな人間になりたい」
「人に優しくしたい」
これはこれで悪いことではないかと思います。
ですが、これを達成するための具体性が有るのと無いのでは、また違ってくるような気がします。
これではどのように努力すればいいかもわかりません。あっちに行ったりこっちに行ったり、安易に達成する近道しか探そうとしないかもしれません。漠然と思っているだけですぐに忘れてしまうかもしれません。
もし、漠然とした「不安」を日々抱えているとしたら、何でもいいから「目標(目的)」を出来るだけ具体的な内容で設定し、それを実行する習慣を付けてみるのも良いかもしれません。
簡単なもの、達成しやすいもの、そんなのでも十分かと思います。
最後に
いろいろ書いといてなんですが、私は具体的な「目標(目的)」が今はまだありません。
日々惰性で生きています。ダメ人間です。
当然漠然とした「不安」もあります。ですのでこの記事は私宛でもあります。
とはいえ、漠然とした「不安」なんて、目標設定をしたからと言っても、無くなるものではないかもしれません。
ですが、目的のある「不安」と、目的のない「不安」とでは、やはり違うものがあると思います。
目的のない「不安」は、現実から目を逸らし、余所見をし、時間を無駄にする、いわば「逃げの不安」なのかもしれません。
だから、上でも書きましたが、”失敗も成功もない” のかもしれません。