空飛ぶ畳

日常の思ったこと、育児・子育や仕事のことなどつらつらと書いていきます。

「大人(おとな)になる」というのは「大人」を自覚することが必要である。


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今週のお題「おとな」。はてなブログのお題です。

「大人(おとな)」って何? 大人になるってどういうこと?

このような大人の定義というのは、わかりやすいようで曖昧な部分でもあります。

私も正直よくわかりません。人によって解釈や捉え方も様々なのではないでしょうか。

 

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大人とは何か?

「大人(おとな)」と一言でいっても、それを指す対象のものは様々にあります。

  • 年齢的な大人
  • 身体的な大人
  • 社会的な大人
  • 精神的な大人

まぁざっくりな定義です。

「年齢的な大人」とは、いわゆる成人(二十歳)を境に大人の仲間入りなどと言われます。成年・未成年などで区別したりします。但し二十歳未満であっても婚姻をしていれば成年者とみなされるとかなんとか。

この二十歳を境に「飲酒」「喫煙」「選挙権」「ローン」などが法律的に許され、一般的に親の保護なしで、自立した大人としての扱いに変わります。

「身体的な大人」とは、いわゆる体の発達に成熟したことを差し、それは体の造りであったり、子供を作ることが出来る性的な発達であったりといったところでしょうか。

「社会的な大人」は、おそらく年齢的な大人である二十歳を境に定義されるような気がします。その他には学生と社会人との差で言われることもあるかもしれませんが、一般的には「二十歳=大人社会」ということでしょう。

 

これらの「年齢的な大人」や「身体的な大人」などは、いわば成長とともに”勝手になるもの”だと言えます。つまり本人が意識するしない限らず自然と成熟するものです。

 

しかし「精神的な大人」とは、歳を取れば勝手に成熟していくわけではありません。

年齢が上がっていけば精神面も勝手に向上するわけではないし、社会で経験を積むことにより必ずしも成長するとは限りません。

親となり子供を産み育てていても精神的に大人に成り切れない人もいます。

では「精神的な大人」とは何を指すのか?

 

大人とは「責任を持つ」と「自分を律する」こと

大人とは何か? と問われれば、

大人とは自分自身に「責任を持つ」ことと「自分を律する(=自律)」ことが出来る人ではないかと思っています。

あくまで私の思うところです。

 

責任を持つとは、社会的責任、法令順守といったこともありますが、「大人」という意味では、「自分の言動」に責任を持つことだと思います。

責任というと、何かをしでかしたことに対し、しっかり尻拭いをする。自分でその責務を果たす、といったことは当然にあります。

しかし、法的責任や社会的責任というのは、ある意味、解りやすくて責任が取りやすいものです。つまり最低限の常識です。最低限の常識を守って「大人」と言われれば誰も苦労しません。

それらとは他に、精神的な大人として大切なのは、自分の言動によって「人に迷惑をかけない」「人に不愉快な思いをさせない」といったことではないかと思うのです。

いわゆる「大人のマナー」です。

これらも精神的大人の責任の一つだと思います。

 

「自分さえ良ければいい」

「誰にも迷惑をかけているつもりはない」

「俺は自分の好きなようにやる」

 

まぁここら辺は冒頭に書いたように、人によって解釈や捉え方が違うかと思います。

世の中色々な人間が居ますから、ことの良し悪しや、相手にとって何が迷惑か不愉快か、などの考え方も異なります。

しかし「周りを意識せず自分の思うままに生きる」と「自分勝手に生きる」とは、指しているものが当然全然違います。

ここらへんの一般的な常識というか教養が「わからない」大人が増えている気がします。

 

そして次は「自分を律する」です。「自律」というやつですね。

 自律を調べてみると

・他からの支配や助力を受けず,自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。
・カント倫理学の中心概念。自己の欲望や他者の命令に依存せず,自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと。
・「自立」は他の助けや支配なしに一人で物事を行うことであるが,それに対して「自律」は自分の立てた規律に従って自らの行いを規制することをいうこと。

[ 引用 - weblio辞書【自律】]

自らにより判断し、規律を守り、欲望を抑え、自分を律すること。

その判断や言動は、他者に依存することなく、自身で考えて行動できること。

といったところでしょうか。

この「自律」といったものは、先ほど書いた「大人の責任」や「大人のマナー」の考え方や価値観が基準となり、その基準を自ら律して行動していくことだと思います。

 

つまり「責任を持つ」「自分を律する(=自律)」ことはセットで考えるべきだと思います。

そして、これらを「自覚」している人が「大人」ではないかと思います。

このようなことは、大人になれば自然と身に付くものではありません。

それに一朝一夕で身に付くものでもありません。親元から自立し、社会に出て、自ら育んでいくことだと思っています。

私が思う「大人」というのは、これらが実行出来る出来ないというよりは、「自覚」しているかどうかだと思います。

そして「自覚」すべき切っ掛けとして「成人式」または「社会に出て働く」があります。

成人式などでもお偉いさんが、「これからあなたたちは大人の仲間入りです。これからは大人として~云々」などと言うのもそのためです。

 

しかし、成人した若い人も、いい歳した大人でも、なかなか自分を律することは難しいです。

はたから見た「立派な大人」なんて人はあまり居ないかもしれません。

だからこそ「大人としての言動」を自覚する必要があるのではないかと思うのです。

 

最後に

大人としての責任であったり、大人のマナーであったり、自身の言動を律したりなどは、きっといくら歳を取っても永遠の課題かもしれません。

しかし近年は、このような大人としての自覚の程度が年々下がっているように思います。

これらはやはり「教育」の低下ではないかと思います。

教育とは学校などもそうですが、親の影響も大きいかと。

結局、親自身がそして大人自身が「大人の自覚」を持った言動が出来なければ、子供に対しても「大人の自覚」を植え付けるのは難しいのではないでしょうか。