空飛ぶ畳

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「仕事をしたくない」「会社に行きたくない」と思ったら思い切って会社を休んでみる!


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決して仕事をさぼって会社を休むことを推奨しているわけではありません。

しかし、どうしても会社に行きたくない、仕事をしたくない、現状から逃げ出したいと思ったら、一度思い切ってその呪縛から逃れてみればいいのです。

そうすれば如何に自分がくだらないことで悩んでいたかわかるかもしれません。

 

 

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「仕事をしなくない」「会社に行きたくない」と思う人

「仕事に行きたくない」「会社に行きたくない」などといっても、単純に面倒くさいとかやる気が出ないとか、そんなレベルであれば、どうぞお好きにしてくださいという感じですが。

ただ、うつ病とか一歩手前とか、本当の本当に辛くて悩んでいるのであれば、一度思い切って会社なんて休んでしまえばいいと思います。

「いつも怒られている」

「どうしても仕事が覚えられない」

「みんなに迷惑ばかりかけている」

「頑張りたいのに頑張れない」

「毎日遅くまで残業しているけど終わらない」

本人の力量や仕事の能力などは一旦置いておいて、要は心が疲労しきっていたり病んでいる人です。

会社なんてどうでも良い、仕事なんてどうでも良い、なんてことは言っていません。

やはり真面目に一生懸命働いている人というのはとても立派です。

しかし、それも自分の心身が健全であってこそのものです。

そうは言っても、

「そんな簡単に休めない」

「仕事が目一杯溜まってるからそんなこと言ってられない」

「自分が居なかったら仕事が回らない」

「自分が休んだら皆に迷惑がかかる」

「そんな会社をサボるなんてことは私には出来ない」

という人も居ます。

でも会社に行きたくないんですよね?

どうしても仕事をしたくないんですよね?

「仕事をしたくない」「会社に行きたくない」と思っている人の中でも、やはり単に甘えているとか、仕事を舐めているとか、そういう社会人になりきれていない人も多いのは知っています。

しかし、はたからはそう見えても、実は本人にとっては心が悲鳴を上げている、そういう場合も多々いるのです。

これは程度の問題ではなく、その人本人がどう感じているかです。

 

人は何に縛られているのか?

私も昔、もう本当に仕事に行きたくなくて、というより毎朝会社に向かう足取りが本当に重くて重くて進まないんですよね。

仕事に行くのが辛くてしょうがありませんでした。

その時の会社は上司二人のダブルパワハラです。

しかも双方も仲が悪いから、その絡みもあって、ただでさえ怒られるのに、お互い負けじと私を叱責するんですよね。

それに周りは見て見ぬふりばかり。

私はそんなパワハラぐらいで病むような性格ではなかったのですが、その時はまったく知らない分野の仕事に転職したばかりで、まぁその仕事は思うように全然上手くいかない仕事だったんですね。

別に自惚れなんてまったくありませんでしたが(むしろ不安ばかり)、自分の無知を痛感し、そんな負い目も感じていたこともあり、甘んじて罵声を受けていたんですね。

仕事が出来ない自分に非があるということに縛られて。

あのときは結構辛かったですね。

毎日悩んで心身がどんどん疲労してきて、藁にもすがりたい思いもあったし、ほとほと参っていました。

しかし、私の密かな隠れ長所(と思っています)がありまして、心の疲労、心の病が、ある一定のラインを超えると、プツンと何かが切れて、どうでも良くなることが多々あるのです。

私的には結構ギリギリのラインなんですが。

もちろんプツンと切れて暴れるなんてことはありません。

また、プツンと切れてどうでも良くなって、この世を去ろうなんて気もまったく起こりません。

そうではなく、今まで自分が縛られていたこと(これは自分が自分を縛っているのですが)から、逃れられたということです。

別にキレたり怒ったり不貞腐れたとかではありません。

ただどうでも良くなったということです。

何がどうでもよくなったかというと、他人の罵声などで心を痛めてしまう必要性がなく、自分で自分の心をイジメるのを止めたということです。

どんなに他人に罵声やイジメを受けていても、自分の心を痛めつけているのは自分自身です。

本当の意味では他人には人の心を傷付けることなんで出来ませんから、自分が他人の罵声やイジメを受け取らなければ、自分の心は傷つかないのです。

さて、そんな吹っ切れた私が会社や仕事上でどう変わったかというと、表面上はあまり変わっていなかったと思いますが、そのダブルパワハラ上司二人のことを無視するようになりました。

もちろん仕事は大切ですし、口を利かずに仕事を円滑に進めることは無理ですから、そこは普通に当たり前にやります。

しかし、それ以外のときは無視です。

無視というより相手にすることを止めました。

お昼に誘われても行きません。(行きたくないから)

喫煙所に誘われても行きません。(一緒に居たくないから)

その二人達が仕事とは関係ないことで私のとこに来れば、私は露骨に席を立ちますし、露骨に無視をして仕事しています。

喫煙所などに行くときも、敢えてその二人が戻ってきたと同時に喫煙所に向かいます。

これは露骨な嫌がらせなどではなく、その人たちに向けた意思表示です。

「私は仕事以外のことではもうあなたたちと関わりあうつもりはありません」

という意味です。

何かを言われても、それが仕事のことであったり、上司としての立場の発言であったり、自分に非があることであれば、しっかり聞くし謝罪もするし反省もします。

しかしそう感じない部分に関しては受け流しです。

馬耳東風(ばじとうふう:人の意見や批評を全く気にかけないで聞き流すこと)です。

そうするとどうなるか?

この時のことで言うと、その二人はまず私に面と向かって必要以上に何かを言ってくることはなくなりました。

これは本当です。

逆にその二人の上司は、やたら私のことをチラチラと気にしたり、顔色を見るようになったのには、少し気の毒にも思えました。

ビクビクしているから相手が図に乗るのであって、堂々していれば良いという良い例です。(堂々とするのは良いけど偉そうなのはダメです)

結局何が言いたいかというと、私はそれまでは、自分で自分の心を縛ってしまっていたのです。

「仕事は出来なければいけない」(まぁそうなんですが・・)

「怒られないようにしなければいけない」

「もっと色々なことを勉強しなければ」

「あれが出来ないとダメ」

「これが出来ないとダメ」

「今の自分はダメ」

「自分がダメなんだ」

心が病みやすい人や、心が折れやすい人というのはこういう人です。

何かに縛られているのです。

それは価値観、世間体、周りの洗脳などなど。

それが良い悪いというわけではなく、縛られてしまうことがダメなのです。

そして、上でも書きましたが、縛っているのは他の誰でもなく、自分の思い込みで自分を縛っているのです。

 

仕事に行きたくなければ思い切って休んでみる!

私はたまに仕事をサボって休むことを進めることがあります。

なぜなら私もたまにサボって休むからです。

心のリセットです。

もちろんそんなリセットなんて要せずに、日々余計なことを考えずに仕事を楽しく一生懸命する人にはかないません。

でも私のように心がたまに弱くなる人はまぁ良いでしょう。

さて、会社を休むといっても、こういうことは土日とか通常の休日じゃダメなんです。

単に心身を休めたいだけであれば、通常の休日でも十分かもしれませんが、単なる休息ではなく、先ほど上で書いた「心が縛られている状態」なのであれば、思い切って会社をサボって休んでみれば?ということです。

「でも・・」

「しかし・・」

「そんなの無理・・」

というように、上で書いたように何かに心が縛られているのであれば、その縛りから「敢えて」外れてみましょうということです。

無理ならする必要はありません。

会社をサボって罪悪感を感じて更に縛りが強くなる人も居ますから。

でもそれで自分が壊れてしまったら?

会社を辞めてしまったら?

急な事故や病気で入院したら?

インフルエンザにかかってしまったら?

結局は同じことですよね。

実は自分一人がたった一日ぐらい休んでも、仕事は回るし、社会は微動だにもしないし、地球はどこ吹く風で回っていきます。

自分が「こうでなくてはならない」「こうあるべきだ」という思い込みの価値観なんて、実はその大半はどうでも良いことかもしれませんよ。

結局この記事で言いたかったことは、会社を休めとかサボれとかというよりは、その自分が縛っているものを外してみては?とうことです。

世の中なんてあなたが思っているよりも、実は相当くだらないことで溢れかえっているかもしれません。

自分の心を痛めている原因は、クソくだらないことばかりということです。