空飛ぶ畳

日常の思ったこと、育児・子育や仕事のことなどつらつらと書いていきます。

私が憧れる人っていうのは「自分を持っている人」「周りに振り回されない人」なんだよね。


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私は大人になった今でも自分の考えや信念がよくわからなくなることがあります。

そしてわけもなくイライラするときもあります。

いや、基本は自分なりの信念は当然持っているつもりではいます。

持っているけどたまにふらふら~としている自分に気づくのです。

 

それは私を取り巻く人々であったり、社会であったり、世の中の風潮であったり、そういったものに振り回されている、というか流されているのだと思います。

どういうことかと簡単に言うと「周りの目を気にしている」状況に陥っていることなのかもしれません。

周りの目を気にして、本来やりたくないこともやってしまっている時ほどストレスが溜まることはないですよね。

 

世の中には「やりたくない」けど「やらざるを得ない」という場合があるかと思いますが、それは大きく分けて2通りあると思っています。

  1. 自身の立場上の「責任」としてやらざるを得ない場合
  2. 本来やる必要性はないのに「周りの目を気にして」やらざるを得ないと思っている場合

 

 

「責任」としてやらざるを得ない場合

仕事においても家庭においても、「やりたくない」ことだけど「やらざるを得ない」ことがあります。

この場合は「責任」が発生しているかどうかでしょうか。

仕事を全うする責任としてやらざるを得ない場合、会社の立場上の責任として嫌なことでもやらざるを得ない場合、家族を養う責任として、子供に対する親の責任としてやらざるを得ない場合、などですかね。

これらは言うまでもなく、自身に対する責任の範疇であれば、やりたくないなど思っていてもやらざるを得ないのです。

きっと当然のことなのでしょう。

 

「責任」の範疇はあいまいな部分もあるし、個人差もあるかと思いますが、仕事の対価として給料を貰っているのであればその仕事を遂行しなければなりません。

契約や約束的なことを守るのも社会人として責任が発生しています。

家族を養う責任だったり、親の責任として子供をしっかり教育するのもそうです。

 

 

「周りの目を気にして」やらざるを得ないと思っている場合

先の「責任」についてはしょうがないことでもあります。

しっかりやらないといけない場面も多々あることでしょう。

しかし、そうではなく本来必要ないのにやってしまうのが、「周りの目を気にして」やらざるを得ないと思っている場合です。

つまり、自分を押し殺して、やりたくもないことを周りの目を気にしてやっているということです。

  • 仲間外れが嫌だからと楽しくないことも周りに合わせてしまう
  • 怒られるのが嫌だから何でも言うことを聞いてしまう
  • 周りの子供がやっているからという理由でやらせる

 

こういったことは例え実行していなくても、気にする時点でストレスが溜まっていってしまいます。

それは「やりたくない」けど「やらないといけない」のでは?と思ってしまっているからです。

ストレスとは、本来自分が求めていないものを求められている(または感じる)ときに発生するものでもあります。

 

ちなみに、これらは「協調性」とは全く異なるものですよ。

「協調性」とは、何かをお互い協力し合って成し遂げましょうというものだと思います。

自分の感情や損得などは度外視して、同じ目的に向かって協力し合うことです。

この場合も、やりたくないことでもやらざるを得ないこともあるし、自分が妥協せざるを得ないこともあるかもしれません。

本当にやりたくなければやらないのも当然あります。

協調性とは自分を犠牲にすることともちょっと違いますからね。

 

つまり、周りの目を気にして、自分を押し殺したり、ふらふらしてしまったり。

私はこれほどつまらない人生はないと思っています。

自分が何かをやりたければやればいいですが、だけど「周りがやってるから」と理由は本来要らないのです。

たくさんの仲間と仲良くしたいならすればいいですが、だけど「仲間外れが嫌だから」と理由はこれまた要らないのです。

 

さて、偉そうなことをさんざん書きましたが、冒頭にあるとおり、私もこの「周りの目」を気にしているときが多々あるのです。

大抵イライラとストレスが溜まっているときは、この「周りの目」を気にしているときです。

そんな自分に更にイライラしたりするのだから困ったものです・・・

 

 

憧れる人は「自分を持っている人」「周りに振り回されない人」

私が主に憧れる、尊敬する人というのは、「自分を持っている人」であり、決して「周りに振り回されない人」です。

 

思い返すとそういった人というのは、私の記憶では小学校1年生のころから居ました。

そういったものは年齢などは関係ないのかもしれません。

だから、憧れる、尊敬する人というのは、著名人・有名人とかは関係ないし、何かを成し遂げた成功者という人も関係ありません。

社会的地位の高い人というのも関係ないし、人に好かれる人気があるというのも関係ありません。

むしろそんなものは持ち合わせていなくて、ひっそりと自分自身を大切にして信念を持っている人なのかもしれません。

単純に自分を持っている人か、自分ではなく周りの目を気にしている人か、ただそれだけなのでしょう。

 

もし自分がイライラしていたり、ストレスが溜まっていると感じているときは、「自分を捨てていないか?」「周りの目を気にしていないか?」を自問自答してみたらいいかと思います。

もしそうだとしたら、それは周りの問題ではなく、自分自身の問題ということです。

そこでイライラの原因を他者に向けたとしても、きっと何の解決にもなりませんし、仮に他者が行動を変えてくれたとしても、一時は良くなってもまた同じことを繰り返すだけなのです。

 

 

最後に

偉そうなことを書いていますが、これは自分に向けた備忘録のようなものです。

 

たまにありますよね?

わけも理由もよくわからず、何となくイライラするとき。

 

そういう時は、大抵自分のやりたいこと、思っていることを押し込めているときだと思うのです。

 

じゃあ何で押し込めてイライラするの?と理由を考えると、

  • 何となく周りに流されている。
  • 周りの目を気にしている。

といったことが浮かんでしまいます。

だから「イライラする=自分がない」のではと思ってしまうのです。

 

かと言ってそんなに簡単に自分をコントロール出来れば苦労はしないのですが、何かを成し遂げなくてもいいから、無駄でつまらない人生は送りたくないな~と思う今日この頃です。