空飛ぶ畳

日常の思ったこと、育児・子育や仕事のことなどつらつらと書いていきます。

人に何かを期待するから「イライラ」する。その期待とは自分の思い通りにしたいという表れである。


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人のイライラというのは、人生において常につきまとうものかもしれません。

イライラという症状が出なければ、人は悩むことも怒ることも不安になることもなくなるのだと思います。

なぜ人はイライラしてしまうのでしょうか?

 

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人に何かを期待するからイライラする

人がイライラする要素なんていうのは様々あります。

それこそ人それぞれ千差万別かと思います。

  • 自分の思うようにものごとが上手くいかない
  • 自分の思うように人間関係が上手くいかない
  • 誰も自分を認めてくれない
  • 誰も自分を褒めてくれない
  • 自分だけ頑張っている気がする
  • 自分ばかり損をしている気がする
  • 自分の言うことを聞いてくれない
  • 自分の思い・気持ちを分かってもらえない

「誰々がこんなことを言ったから・・」「あの人がちゃんとしれくれないから・・」「こうあれば私だってイライラしないのに・・」などと細かい事象というかその時々の場面は様々にあるかと思いますが、要は上で羅列したような気持ちが自分の中にあることにより、そこからイライラが発生してくるかと思います。

この箇条書きで書いた内容というのは、主に自分を中心とした考え方です。

自分中心の考え方自体は、それは当たり前だし別に良いのですが、ここで共通していることは、「自分の気持ちや考えに他者を巻き込む」ということです。

考え方や気持ちなんてものは、人それぞれであり、自分はそう思っていても他人がどう思うかは他人の勝手です。

周りの他人はその人なりの自分中心の考え方があります。

そんなことは当たり前です。

その人の考え方が良い悪いは関係なくその人の勝手なんです。

自分が自分中心にものごとを考えると同じように、他人も自分を中心にものごとを考えています。

ここで話を戻して、人はなぜ「イライラ」するのかというと、「人に何かを期待しているから」です。

「人に何かを期待している」とはどういうことかというと、「自分中心の考え方に『他人』もそうあるべきだ」と思っているということです。

世の中の常識や良い悪いなんてことは関係ありません。

それはまた別の話です。

そういうことではなく、何度も書いてしまいますが、自分の人生は自分が中心であるのは当たり前なんですが、他人も当然その人自身が中心であるということです。

しかし、人に何かを期待しているがためにイライラしてしまうという現象は、他人を自分中心に無理やりしてやろうという欲求があるのです。

「そんなことはない!」

「そうした方が絶対に上手くいくから!」

「そうすることが当たり前のことだから!」

「そうするべきことは常識だから!」

「そうしてもらわないと自分が困るから」

「良かれと思って!」

こういった考えや思いも当然あるかと思いますが、先ほども書いたように、こういったことは良い悪いや正しいか正しくないかということではありません。

他人を自分の色に染めようとしているかどうかです。

「白やピンクや青の色の方が絶対に綺麗!」「ほとんどの人がみんな赤や緑の色を使っている」「その色が正解だってみんな言ってる」と思っていたって、「私は黒やグレーが好き」という人もいれば、「ここは色なんか付けずに真っ白が正解だ」という人もいます。

でも人の言動でイライラしてしまうという人は、

「何でこの色にしないの!?」

「ここはこの色を使った方が絶対に良いのに!」

「せっかく私がこの色を用意してあげたのに!」

「俺がどれだけ苦労してこの色を作ったのか」

「他の人だってみんなこの色にしているのに」

「私はこの色が絶対あなたに合うと思ったのに」

「この色にしないと人に迷惑がかかるから」

「みんなと同じ色にしないと嫌われるかもしれないから」

という考え方をしてしまうのです。

何度も言いますが、それが良い悪いは別です。

結果的に自分の思った色でないがために、ぐちゃぐちゃの汚いものが出来上がって、例えその人が後悔したとしても、それはあなた自身が怒ることでもイライラすることでもないのです。

例えその結果自分に被害が被ってもです。

他人の言動によって自分に被害が被る場合、それに対して予防線や対策をするのは、自分の身を守るために当然すべきなのですが、イライラする必要性はないということです。

辞めてほしいことはやめてと言うべきだし、時には怒ることを敢えてするのも良いですし、相手が失敗しても自分に被害が被らないように予防線を張ったり身を守ることは大切です。

それらも自分の勝手でやれば良いのです。

ただ相手にむやみに期待する必要なないのです。

 

イライラしたときは人を自分の思い通りにさせようとしていないか?

自分を変えることは出来ても他人を変えることはできません。

それは夫婦でも親子でも同じです。

例え教育や洗脳によって相手を変えたと思っていても、それ自身を選択するのはその人の自由でありその人の勝手です。

人に対して、ものごとに対して「イライラ」してしまうときというのは、得てして「自分の思い通りにいかないとき」です。

自分の思い通りにいかなくてイライラしてしまうときは、「自分の思い通りに周りも進んでほしい」「自分の思い通りに周りが動いてほしい」という欲求の表れです。

それは人に何かを期待しているということです。

しかも自分の思い通りの結果を期待しているということです。

「自分のしてほしいことをしてくれない」

「自分がなすべき方向に一緒に進んでくれない」

「自分のこうしてほしい、こうあってほしいという思いを分かってくれない」

「自分は頑張っているのに認めてくれない、分かってもらえない」

「自分はこれをやりたくないのに誰も代わりにやってくれない、手伝ってくれない」

「あ~もうイライラする!」

こういったことは誰にでもあります。

私もしょっちゅうあるし、ついイライラしてしまうことなんて毎日あります。

こんなことは日常の些細なことでもいくらでも誰にでも転がっています。

「子供が親である自分の言うことをきかなくてイライラ」

「部下が自分の言うことを聞かなくてイライラ」

「上司が自分の仕事を認めてくれなくてイライラ」

「家族が起こしてくれなかったから遅刻してイライラ」

「もっとゆったり通勤通学をしたいのに人が邪魔、満員電車でイライラ」

「時間がないのに誰も協力してくれなくてイライラ」

「毎日仕事や家事を頑張っているのに誰もほめてくれなくてイライラ」

「夫が家事を手伝ってくれなくてイライラ」

「せっかく勉強を毎日頑張っているのに褒めても認めてもくれずにイライラ」

「今日は疲れて何もしたくないのに誰も代わってくれなくてイライラ」

「自分の考えや思いが相手にきちんと伝わらなくてイライラ」

「自分は良かれと思ってしたのに逆に怒られてイライラ」 

何度も何度も書きますが、こういう思いが良いとか悪いとかではありません。

自分のことを分かってもらえたり、理解してくれたり認めてくれれば、それははっきりいって嬉しいですし、そうでなければちょっぴりがっかりするものです。

しかし、イライラする必要はありませんということです。

そこでイライラするということは、「そうあってほしい!」「自分の思い通りにいかなきゃ嫌だ!」っていうことだと思うのです。

自分がそうあってほしい、そうあるべきだという思いが、必ずしも相手もそうだとは限りません。

人に対して、何かに対してイライラする人というのは、このような思いが強い傾向があるということです。

イライラしたときは、誰かを自分の思い通りにさせようとしていないか?

こんなことをふと考えてみると良いかもしれません。

そしてもし「あ~確かにこれは自分の思い通りにさせようとしているわ~」などと少しでも良いから思えたら、イライラはスーッと消えたり軽くなったりするものです。

そこで相手に対して「自分の思い」を必要であれば淡々と伝えれば良いのです。

「それはやめてほしいからやらないでほしい」

「私はこうしてほしいけどどうかな?」

「悪いけど今はそれを出来ないから後にするか代わりにやってほしい」

でも相手がそれをやるかやらないか、受け入れるか受け入れないかは、今度は相手の勝手になります。

それに対して相手の反応が自分の思い通りにいかなかったら・・・

なんていう、せっかく頑張って気持ちを整理したのに、その反動でよりイライラが大きくなったなんてことにはならないようにして下さい。

私はよくありますが。

そこでまた自分を見つめ返しての繰り返しでも良いのだと思います。

その繰り返しによって、過度に人に対して何かを期待することも徐々に減っていきます。

良い意味で「人は人」「自分は自分」という線引きが出てきたりもします。

急に完璧などは求めずに、徐々にそのようになっていければ、イライラも減っていくのではないでしょうか。

 

最後に

一番良いのはお互いが「思いやり」を持つことだと思います。

思いやりがあれば、自分と相手がお互いにより良いと思われる選択が出来るからです。

それに仮に意見がそぐわなくても、思いやりがある人は、相手を尊重出来ますし、むやみに自分の思い通りにいかなくてイライラすることも少なく済みます。

まぁ所詮理想と言えばそうかもしれませんが、そういう人も世の中にはたくさんいるかと思いますし、そうありたいと思うことは大切なことです。

未熟な人間大いに結構。

ダメ人間、とりあえず良いじゃないですか。

そこからどうあろうとするかが大切なんだと思います。