人生なんて良いときもあれば悪いときもある。人生とはそんなもんだ!と思っていれば心は軽くなる。
人生なんて良いときもあれば悪いときもある。
そんなこときっと誰しもがわかっていることかと思います。
頭ではわかっていても、上手くいかないことや悪いことが起きると、人はそのことに囚われて抜け出せなったりします。
人は自分の力だけで生きているわけではない。
これまた当たり前なんですが、人は自分の力だけで生きているわけではありません。
たとえ自分の力だけで生きようなんて思っていても、そんなことは無理なんです。
それは他人という他の”人”が居るからということもありますが、それだけではなく、動物や魚や虫などの他の生き物、植物、天候、大地、地球そのものなど、やや屁理屈的ですが、必ず何かしらの恩恵や影響などを受けて生きています。
例えば無人島で一人で生きて行こうとしても、生きていくためには食料や水などがないと生きようがありません。
つまり何が言いたいかというと、結局「自分の思い通り」なんてことは、出来ることが決して当たり前ではないということです。
どんなに日々仕事や勉強を頑張って、理想の人生を歩もうとしても、世の中の不況や、天候不良や災害などに会えば、またガラッと180度違った人生に変わります。
株で儲けても暴落すればドカンです。
今は順調な生活を送っていても、予期せぬ不幸や不運がやってくればどうなるかわかりません。
もちろんその逆もしかりです。
こんなことは誰もがわかっているし、その中でより良くしようとするのが人生でもあります。
ちょっと大げさというか極端な話を書きましたが、こういった「予期せぬこと」や「自分ではどうしようもないこと」といったことは、日常些細なことでもたくさんあります。
- 嫌な上司の下に付いてしまった
- 嫌なお客に遭ってしまった
- 割の合わない仕事についてしまった
- 急に仕事が忙しくなってしまった
- リストラされた
- 理不尽なことでからまれた
- 勘違いされて嫌われてしまった
- 夫や妻の機嫌が悪くなってケンカした
- 何もしていないのに意地悪された
- 何もしていないのにイジメられた
- 交通事故にあった
- 大病を患った
- 身内に不幸があった
- 親が認知症になった
- 急に雨が降ってきて濡れた
- 出費が重なりお金がなくなった
- 変な人に絡まれた
- 電車が遅れて遅刻した
- 事故で渋滞に巻き込まれた
- 足を踏まれた
- 転んだ
- etc
悪いことばかり書いていますが、当然逆の予期せぬ良いこともあるかと思います。
これらは自業自得と言われればその要素も多々あるかもしれませんが、自分ではどうしようもない流れも多々あることです。
よくわからないことを書いていますが、結局自分の思い通りにいかないことなんていうのは、世の中いくらでもあるということです。
むしろそんなことばかりです。
それでも人はその時々のことで悩んだりしてしまうのです。
「運が悪かった」「運が良かった」などと「運」のせいだとしても、人は自分の人生を悲観したり、悩んで思い詰めたり、イライラして怒ったり、誰かを妬ましく思ったり。
もちろん自分の今までの行いが今現在の結果として出ているのも当然あります。
良い結果も悪い結果も。
それでも良い努力をすれば必ず良い結果になるわけでもないし、良い努力をしなければ必ず悪い結果になるわけでもありません。
このように考えると、良いことも悪いことも一々一喜一憂(情況が変わる度に喜んだり心配したりすること)することなく過ごせたらいいかと思うのです。
人生なんて良いときもあれば悪いときもある。
もうすでに上で書いていますが、人生なんて良いときもあれば悪いときもあります。
それでも人によっては良いことと悪いことの比率は当然違うことでしょう。
「それでも俺は悪いことばかり起こる!」
「私は幸せな人生をばかりを歩んでいると思う」
「良いことなんて何もない!」
でもやっぱり「良いことだけ」「悪いことだけ」なんてことは、よほどの人でない限りそうそうあるわけではありません。
誰もが些細なことを含め、良いことや悪いことが入り交ざっているのです。
しかし、現在の状況に一喜一憂する人は、その「良いこと」「悪いこと」にとても振り回されます。
良くも悪くもです。
人は誠に都合の良い生き物のようで、今現在が「良い状況」であれば過去の悪いことや嫌なことなんて意外と忘れているものです。
仕事で成功したり、大金持ちになったり、素敵な恋人や結婚をしたり、そんな状況になると人は有頂天になったりします。
そうすると過去の嫌な思い出などは帳消しになったりします。
それはそれでとても良いことなんですが、この有頂天の状態が衰退してくると、人はまたそれが嫌な出来事になったり、悩んだり、嫌な思い出がよみがえったりするものです。
逆に今現在が「悪い状況」であれば、過去の良いことや楽しかったこと、人に良くしてもらったことなんて無かったことになったりします。
さらには人によっては、過去の良かった出来事すら、それらが悪かった出来事に変わってしまったりするから恐ろしいものです。
私の人生悪いことばかり・・
私の人生は何も良いことがなかった・・
人生なんて良いときもあれば悪いときもあるなんて思いながらも、目の前のことに振り回されているということです。
喜怒哀楽を感じたり表現するのが悪いということではありません。
それをなくしたらロボットみたいなものですし、逆に人生はつまらなくなってしまいます。
それでも、良いことや悪いことが起きたときは、一喜一憂、右往左往するのではなく、淡々とその良いこと悪いことを感じながら、客観的に眺められるようになれると良いなと思います。
良いときも悪いときも人生そんなもんだ!と思えれば軽くなる。
良いときも悪いときも、良いことも悪いことも、それらに一々理由付けなんて本当はいらないのでしょう。
もちろん自分で反省すべきことがあれば反省したり、改善すべきことがあれば改善したり、そういうことはとても大切です。
でも基本的には「前向きに考えること」「囚われずにサラッと流すこと」が理想だと思います。
良いことがあれば、
「あ~良いことあってよかった」
「今日はついてるな」
「最近調子良いな~」
と適度にそれらを噛みしめながら良い気分になればいいし、
悪いことがあれば、
「今日はついてなかったな」
「今日は嫌な気分になったな」
「最近いまいちなことが続くな~」
「さて、これからどうしようかな?」
「これもしょうがないか・・」
「上手くいかなくてもいいか・・」
「こんなもんで済んで良しとするか・・」
などと前向きに、かつサラッと流すなんてことが出来れば、必要以上に悩んだり心を痛めたりすることもないし、悪い運気もそう続かないものです。
なかなか難しいですけどね。
それでも、悪い意味や後ろ向きな意味ではなく、もの事に固執しないという意味で、
「人生なんてこんなもんだ」
そう思えたら今よりもさらに人生が楽しくなるような気がします。
最後に
グダグダとダラダラとゴニョゴニョと書いてしまいましたが、まぁ正直言って私に無理です。
というかこれを目指しているのですが、なかなかどうして難しいものです。
子供の頃ってきっと目の前のことに一喜一憂しながらも、良いことも悪いこともサラッと受け流して、「はい、次行ってみよう~」って感じで過ごしていたような気がします。
そういう意味だと、今小学生の息子と過ごす時間が一番落ち着くというか、息子と一緒に居るときが一番素の自分に近いと感じるのです。
これが理想なんですよね。
「子供と大人は違うのは当たり前だ!」
「子供と大人では気軽さも背負っているものも違う!」
というのも一理あるのは認めつつも、でもやっぱり違くないんですよね。
大人になって、色々な重みが積み重なっているように思えるけど、それはきっと思い込みの勘違いなんだと思います。
だからその勘違いに気づいて、良いときも悪いときも、もっとお気楽に人生を進みたいな~と思う今日この頃です。