空飛ぶ畳

日常の思ったこと、育児・子育や仕事のことなどつらつらと書いていきます。

人の「威厳」は「表面」から生まれるのではなく「内面の自信」から生まれてくるものである。


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人には「威厳」を感じる人と、「威厳」を感じない人がいます。

威厳なんてものが良いとか悪いとかということではありませんが、威厳がある人とない人ではどのような違いがあるのでしょうか。

 

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「威厳」がある人はどのような人なのか

最初に結論を書いてしまいますが、威厳がある人というのは「自分に自信を持っている人」だと私は思っています。

冒頭でも書きましたが、威厳がある人が良いとか、威厳がない人がダメだとかそういう話ではありません。

たとえ威厳を感じるような人であっても、その人が人間として優れているとかそういうことではありませんし、威厳があってもダメ人間はたくさん居ると思っています。

それに威厳なんてものは、それを受け取る側の感性みたいなものにも影響してくるかと思います。

さて、そもそも「威厳」とはなんでしょうか。

調べてみると以下のような記述があります。

近寄りがたいほど堂々としておごそかなこと。「威厳を保つ」「威厳に満ちた態度」

<威厳(イゲン)-コトバンク>

一般的な意味合いとしても以下のようなものでしょうか。

  • 貫禄がある人
  • 迫力がある人
  • 魅力がある人
  • 怖い感じの人
  • 存在感のある人
  • 品格が備わっている人
  • 自信に溢れている人
  • 高い地位にいる人

このようなイメージを持っているかと思います。

先ほども書きましたが、こういった威厳に対するイメージは受け取り側にもよります。

単に怖そうな人を威厳のある人と感じたり、偉そう(悪い意味ではなく)な人に威厳を感じたり、その人の立場(肩書き)がそう感じさせたりもします。

先ほどの引用で見ると、とても簡潔ですが「堂々としておごそか」とあります。

「おごそか」の意味とは「重々しい」「近づきにくい」「品格がある」といったような意味です。

「つまり「威厳がある人」というのは、「堂々とした佇まい(ただずまい)のある人」であり、「堂々とした佇まい(ただずまい)」が出来る人というのは、「自分に自信がある人」ということになります。

自分に自信があるから堂々としていられるし、堂々として厳かにしていれば、そこに「威厳」が備わってくるということです。

自分に自信を持つには自分の内面を鍛えるしかありません。

いくら表面を強面で飾っても無理ですし、自信のなさはしぐさや態度に簡単に表れます。

「威厳」がある人というのは、尊敬されたりもしますが、近づきがたい怖さを持っている印象もあったりいます。

これは同じ「威厳」がある人でも、人によって固いイメージの人もいれば柔らかいイメージの人もいたりするからです。

 

人の「威厳」は表面上を取り繕っても無駄である。

人の威厳なんてものは一朝一夕で身に付くものではなく、自分で「威厳を持とう」としてもそうそう持てるものでもないと思います。

なぜなら「威厳」とは表面上を取り繕っても、そこに内面の自信が付いていかなければ備わりません。

よく威厳という言葉で以下のような使われ方がします。

  • 上司としての威厳
  • 先輩としての威厳
  • 親としての威厳
  • とある立場としての威厳

これらを表面上だけの威厳で保とうとしてもはっきりいって無駄かと思います。

つまり内面が伴っていない状態で、「上司としての威厳が~」「親としての威厳が~」「俺の威厳はどうなる~」などと叫んでいても、叫んでいる時点で表面上のみ取り繕うとしていることが表れています。

「威厳」というのは、威張っていれば付くものでもないし、偉そうにしていれば付くものでもないし、相手に服従させれば付くものでもありません。

立場が偉くなれば付くわけでもないし、年上だから付いているわけでもないし、歳を重ねれば付くわけでもありません。

そう思っているとすれば、それらはやはり表面上のお飾りの威厳であり、そんなものはすぐにメッキが剥がれるか、もしくは最初から威厳なんて誰も感じていません。

ですので、先輩や上司としての威厳を出そうとしても無理ですし、子供に対して親の威厳を出そうとしても無駄です。

 

「威厳」とはその人の「内面」や「自信」から勝手に備わる

もう何度も書いていますが、「威厳」とはその人の「内面の品格」や「内面の自信」から醸し出される雰囲気であり、内面が表に出てきている様であります。

どんなに偉そうにしていたり、大きな声で相手を威圧していても、相手は萎縮しているかもしれませんが、そこに内面の臆病さや自信のなさがあれば「威厳」なんてものは感じないものです。

こういった「威厳」なんてものは年齢なんてものもあまり関係ありません。

たとえ子供であっても何となく威厳を感じる人もいます。

男性女性も関係ありません。

父親に威厳を感じなくても、母親には威厳を感じることもあるでしょう。

その人の性格もきっと関係ありません。

威圧的で偉そうな人でも威厳を感じない人もいれば、温厚で気弱そうな人でも威厳を感じることはあります。

それはやはり「内面」からくる「心の強さ」あるかないかの違いなのだと思います。

上で書いた引用では「近寄りがたいほど堂々としておごそかなこと。」とありましたが、たとえ誰にでもやさしく気さくな人であっても、一線を越えさせない「近寄りがたさ」や「ものを言わせない態度」を持っている人も居ます。

 

以上のように、「威厳」がある人というのは、表面上のことなんかよりも、内面、つまり「自分自身の在り方」に重点を置いているのだと思うのです。

周りにどう見られているかなどきっとあまり気にしないことでしょう。

そんな表面上のことよりも「自分がどうしたいか」「自分がどうあるべきか」という内面と向き合っている人ではないでしょうか。

 

最後に

今日の記事で書きたかったことは、表面上の「威厳」なんかを勘違いして持とうとしても、それは無駄であり、意味のないことだということです。

そしてこのような威厳というよりは、内面の自信があるないというのは、このようなブログなどの相手の顔などが見えない場合でも感じることが出来ます。(私のブログは別にして)

それはその人の文章や言い様を見ていれば何となく伝わってくるものです。

もちろんそれらは受け手側にも依存することであり、人それぞれ感じ方も違うのは当たり前のことだと思います。

人によっては威厳を感じることもあれば、威厳を感じないこともあります。

ですので、表面上ばかり気にして「威厳」を持とうとしたり、保とうしても、それは無駄であるどころか見当違いであるということです。

そんなことよりも、というか「威厳」なんてものを意識するヒマがあったら、自分自身の内面を鍛えるべきなんだと思います。