「人は人、自分は自分」良くも悪くも自分らしく生きる!
「人は人、自分は自分」だから自分らしく生きなさい!などということはよく言われる言葉です。
わかっちゃいるけど、ついつい誰かと自分を比較してしまう。
でも本当に「人は人、自分は自分」何だと思います。
他人のことは誰もわからない
他人の気持ちを理解したり、他人の考えていることをわかっているようでも、実際はその人のことを本当に理解しているとは言えません。
狭い範囲のピンポイントでは理解出来たり考えていることがわかることもあるでしょう。
- 今この人は機嫌が悪いな
- 今この人はこんなこと考えてるな
- この人にこんなことしたら喜ぶな
- 今この人はこんなことで悩んでいるな
- 今この人はこんな気持ちだろうな
- この人は幸せそうだな
- この人はかわいそうな人だな
- この人はつまらない人生を送っているな
- この人は苦労が絶えないな
これは人間の想像力の為せるわざであり、経験豊富な人や人の気持ちを汲む性格の人は容易にあてることができるかもしれません。
しかし例え言い当てたり、相手の気持ちが良く分かる人でも、それはあくまでその人の「一側面」でしかありません。
人はついつい自分と誰かを比較してしまいがちです。
それは無意識のうちでもそうしていることが多いです。
「あの人は友達も多くて良いな」
「あの人は良い家族に囲まれて幸せそうだな」
「あの人は仕事も充実して生き生きしてるな」
「あの人はお金があって苦労もなさそうで羨ましいな」
「あの人よりは自分の方が幸せそうだな」
このように自分と誰かとを比較してしまうというのは人間の性(さが)でもあり、多かれ少なかれ誰でも持っているものだと思います。
「人は人、自分は自分」ではなく、「人は自分、自分は人」というような自分と他人とを混同してしまうという錯覚に陥ります。
しかしどんなに相手の良い面・悪い面を見たところで、結局はそれは「一側面」でしかないのです。
人は何十年という長い人生の中で、部分部分的に「自分の人生=他人の一側面」という比較をしてしまっているのかもしれません。
つい比較してしまっているその人の生い立ちや、その人が今まで歩んできた苦労や喜びなどは、大抵の人はそこまでわかっていません。
長い付き合いだとしても、それも結局は表面上のものだけかもしれず、本当のその人の奥底の思いまでは他人ではわかりません。
今幸せで楽しそうにしている人が思いもよらない苦労や努力をしているかもしれませんし、この先苦難が待ち構えているかもしれません。
いつも笑顔で明かるい人が、家に帰れば引き籠って悶々と悩んでいたり、家族と仲が悪くケンカばかりしているかもしれません。
仕事ができず友達も少ない寂しそうな人が、プライベートでは自分らしく楽しい時間を過ごしていて、仕事ことや交友関係のことなんか実は気にも留めていないかもしれません。
お金がなく貧乏そうで何も持っていなくても、そんなことは気にせずに家族との時間や目の前のやるべきことに喜々としているかもしれません。
人は本当の意味で他人のことなんて実はよくわかっていないのです。
「人は人、自分は自分」
この言葉は「自分らしく生きよう」という意味もありますが、「自分のことは自分しかわからない」「人のことはその人しかわからない」という意味もあるのだと思います。
「人は人、自分は自分」自分らしく生きる以外にない
「人は人、自分は自分」
もうこれ以上でもこれ以下でもなく、そもそもがこれ以外にあり得ないのだと思います。
どんなについ誰かと自分を比較してしまっても、どんなに他人が羨ましく思えても、どんなに自分と誰かを比べて悩みや不安・不満を溜めていても、結局はそれも自分自身の人生だということです。
人生たかだか数十年です。
100年もすれば大抵の人はみんなこの世に居ません。
成りたい自分に成ろうと努力したり目標を持つのはとても良いことです。
しかしそれが「ない」からといって不幸(つらい、悲しい)だという考えは、結局は誰かと自分を比較している証拠です。
お金があってもなくても、彼氏・彼女が居ても居なくても、仕事が出来ても出来なくても、結婚出来ても出来なくても、子供が出来ても出来なくても、良い家に住めても住めなくても、仲間が居てもぼっちでも、良くも悪くもそれが自分の人生であり、他人は他人の人生です。
老いていけば、そしてゆくゆくこの世を去ってしまえば、これらは全てなくなるものです。
だったらそのいずれ消え去るものに悶々と悩むのではなく、今自分がやりたいことや思っていることを純粋にやってみれば良いし、楽しい思いをすれば良いのだと思います。
今思う苦労や悩みが必ずしも本当にそうかというと、それはわかりません。
世の中には苦労や悩みすらも楽しむことが出来る人はたくさん居ます。
足が悪い人から見れば歩いたり走ったりするだけでも楽しいです。
目が悪い人からすれば何でもない風景が見れるだけで羨ましいかもしれません。
仕事にずっと就けなかった人はブラック企業ですら生き甲斐を感じるかもしれません。
子供を一生懸命望んでいた夫婦であればどんな子供でも可愛くてしょうがないかもしれません。
親が居なくて寂しい子供は里親で血がつながっていなくても安心や幸せを感じているかもしれません。
「人は人、自分は自分」ということは、自分なりの人生を送れば良いということです。
そのために生まれてきたのですから。
「自分は好きで生まれたわけではない」と思っていても無駄です。
「自分は生まれたくて生まれた」ということを実感すべきだと思います。
要らぬ苦労はする必要はないし、無駄な悩みはするべきではないと思います。
しかし苦労や悩みが必ずしも不幸ではないということです。
自分の人生は自分なくしてあり得ない、だから「人は人、自分は自分」「自分らしく生きる」ということでした。