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空飛ぶ畳

日常の思ったこと、育児・子育や仕事のことなどつらつらと書いていきます。

子供の自主性を育てるにはまずは親の自主性を見せる。そして子供の自主性を邪魔しない。


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子育てにおける「子供の教育」には、子供の「自主性」を大切にしなければいけません。

子供に自主性が育たなければ、それはいつまで経っても独り立ち出来ないことを意味します。

 

そもそも「自主性」とは何でしょうか?

自分の判断で行動する態度。 「 -に欠ける」 「 -を生かす」

引用 - コトバンク「自主性」

 

たった一言ですが、要は、やるべきことやりたいことを自分で判断し、自分の判断に基づいて自ら行動するということですね。(引用のままですね)

 

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さて、子供の子育ての目的とは、子供が成人するまで(あくまで基準ですが)育て、そして子供が自立して独り立ち出来るようにするということが上げられるかと思います。

そして、子供の自立・独り立ちを育むには、子供の自主性を育て、尊重していくことが大切になっていきます。

 

子供が小さいうちは、親が手取り足取り教え、フォローしながら見守っていきます。

しかし、いつまでも親が面倒見たり、何事も指示したり出来るわけではありません。

幼稚園や小学校に上がるころには、自然と子供の自主性もどんどん発達していきます。

親だって、子供に対して「自主性」という言葉を意識しなくても、いつまでも親が指示しなければ何も出来ない子供に育ってほしくないし、子供が成長すればするほど「自分の考え」で行動してほしいと思うことでしょう。

「何度言ったらわかるの!」

「いい加減言うこと聞きなさい!」

って。

 

子供の自主性を伸ばす、子供の自主性をつぶす

子育てにおいてよく言われる言葉に、「褒めて育てる」というものがあります。

この対極には「叱る」というのもありますが、本来は「褒めて育てるか」「叱って育てるか」という対極関係ではなく、それぞれに役割が違うはずなのですが、まぁそれは置いといて、「褒めて育てる」目的には子供の「自主性」を育てる要素があります。

子供が何もわからないなりに、自分のやりたいこと、または良かれと思ったことを判断し、それを実行したときに、結果はどうあれその「自主性」を褒めて育てるといったところでしょうか。

ですので、褒めて育てると言っても、その行為の「結果」に対して褒めるというよりは、その行為・自主性を褒めてあげるべきです。

褒めずに「結果だけ」に着目し過ぎると、子供は何となく親の「作り褒め言葉」に喜びが薄れ、肝心の自主性がそがれていってしまうかもしれません。

 

このように子供の「自主性」を伸ばしたいのであれば、「結果」ではなく「行為」に目を向けてあげなければいけません。

 

親のお手伝いをしたいがために、お皿を運ぼうとしたら落としてしまった。そんな時に「危ないから余計なことをしないで!」「よそ見してるから落とすんでしょう!」「はいはいありがとう。でも今度は自分でやらずに呼んでね!」

楽しく絵を書いているときに、壁や書いてはいけない紙に絵を書いてしまった。そんな時に「ちょっと何やってるの!」「ちゃんと紙を用意してあげたでしょう!」

勉強したがらない子供が自ら勉強していても成果がでないとき、「きちんと集中しないからだ!」「本当に真面目にやってるの?」

などなど。

これらはちょっと意地悪な嫌な感じを出した例ではありますし、当然ながら注意することが悪いわけではなく必要なことでもあります。

日々子育てに忙しいお母さんなどは言いたくて言っているわけではないでしょう。

 

ただ、そういったこととは別に、子供の「自主性」を育てるには、注意だけではなく、行為も一緒に見てあげることも必要だということです。

「叱るときは叱る、褒めるときは褒める」でも良いですが、「叱る箇所は叱る、褒める箇所は褒める」といったところです。

難しいですけどね・・・

 

子供の自主性なくして子供の成長ありません。

子供の意図とは別に親の言いなりばかりであれば、そこに自主性はなく、成功しても失敗しても感じることは親の顔色だけかもしれません。

 

子供の自主性を伸ばしたいなら親の自主性を見せる。

子供の自主性を伸ばしたい、大切に成長させたいのであれば、上記のような気遣いや注意も必要ですが、「親の自主性を子供に見せる」といったことも重要かと思います。

生活の身近なところで言えば、

  • 部屋の片づけ
  • お着替え
  • 出かけるときの準備
  • 歯磨き
  • お風呂
  • トイレ
  • 食事
  • お絵かきやモノ作り

などです。

 

子供に対して、「アレやりなさい、コレやりなさい」「上手にできるようになろう」「いい加減片付けなさい」「早くしなさい」「きちんと出来るでしょう」などと言う場合があります。

これはこれで良いのですが、子供には厳しく言うけど親が自主的にそれらをやっていない、もしくは敢えて子供に見せていないことはないでしょうか。

子供から見たら、親が部屋を片付けているところを見たことがない、親が歯を磨いているところを見たことがない、親が楽しそうに出かけるところを見たことがない、父母両親が楽しそうに会話しているところを見たことがない、など。

 

やはり「子供は親の背中を見て育つ」という面は確かにあるかと思います。

親は子供にとって身近な一番のお手本でもあります。

親の自主性を持った姿を「敢えて」見せるということも、とても重要だということです。

 

この親の自主性を子供に見せるというものは、何も生活範囲内や教育うんたらだけの話ではなく、親の仕事、家事、趣味、遊びにも通じるかと思います。

親が自ら楽しそうに日々を過ごし、親が新たな趣味や遊びにチャレンジしたり、些細なことであっても楽しそうに自ら動く、このような親の行為も子供の「自主性」を育むことにつながることでしょう。

 

上でも書きましたが「子供は親の背中を見て育つ」というのは、もちろん全てではありませんが、とても大きな影響があると思っています。

むしろ言葉だけで言って行動が伴わない親と、言葉数は少ないが親の自主性をしっかり子供に見せている方が、よっぽど教育に良いことでしょう。