山本五十六の名言「男の修行」は古き良き言葉。
たまにこのブログにも「名言」的な有名な言葉を使った記事を投稿していますが、これからも私の好きな「名言」の記事を徐々に増やしていこうと思っています。
さて、本日の名言は、山本五十六の「男の修行」です。
山本五十六(やまもといそろく)の名言は、以前にも記事で投稿していました。
「やってみせ言って聞かせて・・・」の有名な言葉です。
前回の記事でも書いていますが、この山本五十六は、大東亜戦争(太平洋戦争)の連合艦隊司令長官であり、最終階級は元帥海軍大将です。
その山本五十六の名言集はたくさんあり、後世に多く伝えられています。
その中でもやはり一番有名な言葉は、上の記事に書いてある「やってみせ言って聞かせてさせてみて・・・」でしょうか。
山本五十六の名言「男の修行」
さて、その他にも山本五十六の有名であり代表的な言葉(名言)がこちらです。
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である。
男児たるものこのような精神でいるべきである。
といった古き良き言葉であります。
私が子供のころは当然このような思想はありました。二十代のころも地域や人にもよりますが、このような想いは残っていたような気がします。
どんなに辛いことや理不尽なことがあっても、簡単には「逃げ出さず」「愚痴をこぼさず」「弱音を吐かない」といったことです。
それが男のあるべき姿ということです。
これは自分との戦いであり、自分との我慢比べでもあります。
そうした我慢をしながらやるべきことを行い、切磋琢磨することにより己を磨いていく、それが「男の修行」であると。
そういえば、私の父も5年前ぐらいに他界していますが、私は父の「弱音」や「愚痴」「泣いている姿」を聞いたことも見たこともありませんでした。
父親とは背中で語るとも言いますが、確かに私は父の背中から多くのことをしっかりと学んでいます。
さて、こういった「男の修行」のような言葉は、当然ながら時代背景も影響があります。
きっと今現在の世の中では、この「男の修行」のような言葉は、古臭い言葉になってしまっていることでしょう。
むしろこのような言葉を教育指針として使用すれば、多くの弊害を生んでしまうのが今の世の中のような気がします。
それだけ今の世は、損得勘定の思想が増え、精神論を持ち出せば心を病み、ちょっとした不満心が起これば堪えることができない。
そこにこのような言葉を用いれば、きっと大ブーイングが起こるかもしれません。
ですが、私はこの山本五十六の名言「男の修行」のような言葉は好きですし、そうあるべきだと思っています。
これは正に自分との戦いであり、ただの自己満足であるかもしれません。
しかし、自分には負けたくないものです。
最後に
「男の修行」と言っていますが、昔の戦時中や戦後の人は、男性でも女性でも多くの人が持っていた、もしくはそうあるべきと思っていたことでしょう。
むしろ昔の女性の方がこのような言葉を実践してきた(させられてきた)ことでしょう。
昔の女性とはそれほど苦労してきた人たちではないかと思います。
まぁ「男の修行」と言いつつも、男女問わず「人生の修行」といったところでしょうか。