子育てにおいて「つらい」「我慢」しているのは親?それとも子供?
子育てにおける親の大変さはネットでも書籍でもどこでも溢れています。
自分の時間が無くなり、思い通りにいかない日常、ストレスも溜まり、夫婦喧嘩も絶えなければ離婚にまで発展してしまう。
そんな家族が今では決して珍しくもありません。
まぁ今日の記事は極端な事も書いていますが、子育てのひとつの側面として受け取ってもらえればというところです。
「我慢」したり「つらい」のは親の方?それとも子供の方?
たしかに子育てはとても大変です。
ましてや手伝ってくれる人が周りにおらず、夫婦だけで子育てをすれば、疲労も溜まりストレス解消もままならないことでしょう。
そんな中で、ついつい子供に当たってしまったり、夫婦喧嘩ばかりするようになってしまったり、はたまた性格の不一致やお互いの嫌悪により離婚など。
そんな夫婦のそれぞれの主張は大抵子供は蚊帳の外であったりします。
「子供が言うことを聞かないからストレスが溜まる」
「こっちだって子供に怒りたくて怒っているわけではない」
「私ばかりに子育ての負担を押し付けて少しは手伝ってよ」
「仕事で疲れているのに子育てに時間なんかさけない」
「いつも自分の方が我慢してばかり」
「なんで私ばかり・・・」
「なんで俺ばかり・・・」
ストレスや疲労の結果により、子供にやさしくできなかったり、いつも怒ってきつい言葉を言ってしまったり、ひとくなると暴力が日常的になってしまうこともあります。
それでも親は、ときには子供にかわいそうなことをしたと思いながらも、自分のつらさばかりを主張してしまいがちです。
当然と言えば当然であります。
親は子供自身ではありませんし、何よりそんな心の余裕が無いからこそ、そのようにしてしまうとも言えます。
しかし、このような家庭、夫婦の場合、親よりもつらくて我慢しているのは子供の方なのでしょう。
子供であればまだ何も知らないしよくわかっていないだろう。大人の悩みに比べれば子供の悩みなんて小さくて無邪気ですぐ忘れるだろう。
それも確かに一理あるかもしれませんが、子供には「逃げ場所」がどこにもありません。
自己主張も大人よりも出来ませんし、外でストレス発散をすることも出来ません。
機嫌が悪くたっていつまでも怒っているわけにもいきません。
夫婦喧嘩が始まったからといって外に逃げることも出来ません。
子供はどんなにつらくて悲しくても「我慢」するしかないのです。
子供には「逃げ場所」がない
子供にとっての逃げ場所は、親の元にしかありません。
親と一緒に居たくないからといって家を出るわけにもいきませんし、口も聞きたくないからといって自分で何かをすることも出来ません。
親が居なければゴハンも食べれないし、お風呂も入れません。
結局親に頼るしか子供が生きていく術はないのです。
だから「我慢」するしかないのです。
そもそも子供は無条件で親の愛を求めているはずです。
どんなに愛する親にイライラされようが怒られようが、ときには煙たがられようが、それでも親が好きであり、嫌われないように出来る努力を健気にするものです。
この逃げ場所がない状態での「我慢」や「つらさ」というものは、子供にとってはかなり過酷なことでしょう。
親は自分たちばかりが大変と思わない
子育てにおける大変さの主張は大抵その伴侶に向けられます。
夫婦でどちらがより大変なのかという主張です。
それをときには、「親」と「子供」のどちらが大変なのか? つらいのか? 我慢しているのか?
親は自分たちの都合のことしか考えていないのか?
といったことを考えてみるのも良いかもしれません。
今が辛い状況であり余裕がなければ、なかなかその思考は出来ないかと思いますが、ふとしたときに考えてみると逆に気が楽になるものです。
これは「思いやり」です。
思いやりが育っていけば、お互いの伴侶にも気がつけることも出てきますし、ストレスも減っていくものです。
それを子育てを通じて身に付けられれば、子供と一緒に自分も成長出来るといったことになりますし、何より子育てとは「親子がお互いに成長する」そういうものだと思うのです。
最後に
誰しもそうだと思いますが、私が子供事情で一番悲しくなるのが、「子供に対する親の虐待(もしくはそれに近いこと)」と「夫婦仲悪化による離婚」です。
子供への虐待の場合、それこそ子供には「逃げ場所」がどこにもありません。
そんな中で死亡するケースも決して珍しくない世の中になってきました。
こればかりは本当に許せないし悲しすぎるものです。
そして「夫婦仲悪化による離婚」です。DVや金銭問題、不倫など本当にやむを得ない事情は別にして、単なる夫婦だけの事情での離婚は最悪です。
が決してこれも昨今では珍しくありません。
特に「夫婦仲が悪い状態では子供のためにならない」という主張です。
言いたいことはわかりますが、残念ながら理解は出来ませんね。
ただの大人の身勝手な理屈です。
まぁこれについて言及すると長くなるのでまた今度にします。
いずれにせよ、子供にとっての「居場所」というのは親元しかないということです。
逆に親の役目なんて子供の居場所を作ってあげることだけなのかもしれません。