「社畜」になっても会社は大して評価してくれない。脱社畜で「主体性」をしっかり身に付けよう。
日本のサラリーマンには、誰もが知っている「社畜」という文化があります。
企業の奴隷と化し、社員の意見など無く、ただひたすら「働けや!」というものです。
「社畜」といっても、その生態は企業や業種によって様々ではあります。
- 就業時間だけを評価する企業
- 成果を常に追い求める企業
- 人(上司・同僚)と比較して評価する企業
共通することは、「とにかく働け」「早く帰る余裕があるなら働け」「みんな頑張っているのだから一緒に働け」と働けづくしといったことです。
そこには、能力、成果、時間といった重視は正に企業によりけりです。
「社畜」は大して評価されない
企業にも当然よるかと思いますが、「社畜」を雇っているいわゆるブラック企業と呼ばれる企業は、基本的には社員を「評価することはあまりない」です。
能力がない人は当然「働け!」が付きまといますが、能力がある人も結局「いいように使われているだけ」です。むしろ利用価値が高い分、より「社畜」としての行動を求められます。
能力のある人が、働いた成果によってより多くの収入を得られるのであれば、まだマシではありますが、たかがしれた残業代で済まされていることも多いですし、そもそも能力に差がある社員と大差がない場合も多いかと思います。
どちらにしろ「割に合わない」のがほとんどではないでしょうか。
企業(社長)が社員に求めるのは「服従精神」
ブラック企業と呼ばれるような企業が、社員に求めるものは、能力や成果も当然ありますが、一番重視していることは「服従精神」です。
正に企業の「犬」として「働いているかどうか?」です。
有能な社長は別にして、程度の低い社長というものは、能力よりも社員の「服従心」を気にします。
仮にとっても優秀で成果も上げている社員が居たとしても、会社に服従しているように見えなければ、社長は常に不安が付きまといます。いずれ会社を裏切って辞めてしまうのではないか?と。だったらこちらから先に嫌ってやろう。と。
では、逆に会社に服従心があれば、評価が高くなるか?といえばそうでもありません。
この手の企業は、「服従しない社員(能力あり)」は評価を下げるかもしれませんが、「服従する社員(能力あり)」を評価するかといえばそうでもないはずです。(建前上は評価をしているかもしれませんが)
仮に昇進して肩書きが上がったとしても、より割の合わない仕事と責任を負わされるのがオチです。
「社畜」とは「主体性」がない社員のこと
そうはいっても、生活を盾に取られている社員はそうは簡単にいきません。
ただ、やむなく実質社畜に陥っている人でも、それなりに上手く立ち回っている人もいます。
私の「社畜」の定義は
- 主体性がほとんどない
- 会社・上司の言いなり=「オレ優秀だぜ!」
- 上司の顔色ばかり気にする
- 長時間労働=「オレ働いているぜ!」
- 収入よりも働いている時間に価値を見出す
このような社員は、会社にとっても嬉しい社員かもしれませんが、「社畜」に染まっていない社員からしたら迷惑でしかありません。
完全に会社の「奴隷」と化しているのも気付かずに、延々とブラック企業の餌となっていて、気付いたときには多くの時間と収入を無駄にしていることがあります。
これが「優良企業」であれば、しっかりとした評価、もしくはそれなりの評価をしてくれて、自分の努力の方向性などを正してくれるかもしれません。
しかし「社畜」を好むブラック企業は、気付かれないようにしっかり社員を教育します。気付いたとしても手足を縛られた状態に陥っているかもしれません。
または、残業代はしっかり出すが、基本給がやたら低い企業もあります。この手の企業の社員は、嬉々として残業をするといった、正に「飼いならされた社員」と化します。
恐ろしいほど「社畜を養成」する術を身に付けている企業です。
実質「社畜」であっても主体性は身に付けよう
世の中は、好きで社畜に成り下がっているわけではなく、やむを得ずに実質社畜と化してしまう人もたくさん居ます。
今はネット社会において様々な情報が入るようになってきましたが、それでも入社する前とした後ではイメージが異なることが多いです。所詮企業サーチや面接だけでは見えないことが多くありますし、なんだかんだ内定を取るだけでもまだまだ大変です。
みんながみんな優良企業に入れるわけでもありません。
それでも諦めて「社畜」に成り下がってしまうのと、主体性を持って上手く立ち回るのとは未来の可能性に大きく差がでます。
ブラック企業(もしくはそれに近い)の場合、やはり優秀社員は主体性を持っており、上手に立ち回ってとっとと会社を離れていきます。
どんな経験でも無駄となる経験は無いとよく言われます。私もそのように思います。
しかしものには限度もあるし、程度もあります。
「主体性」とは、自分の判断で状況を見極め、自分の判断で行動を起こすことです。
この主体性があれば、いかに効率よく立ち回り(無駄を省く)、隙あらば転職していくことも可能になります。
このような社員が増えていけば、会社も徐々に変わらざるを得なくなるかもしれません。
結局何が言いたかったかといいますと、上に書いたような「社畜」(主体性のない言いなり社員)は、ブラック企業と裏で手を組んでいるような「害」でしかないのではということです。
そして鬱のよに心を病んでしまったり、体を壊してしまっては元も子もありません。
そこまでして頑張ったとしても、会社はきっと「何もしてくれない」でしょう。
あっさりと「お払い箱」です。
最後に
まぁサラリーマンなんて結局は「半社畜」のようなものです。私もそうです。
その「半社畜」の恩恵とした収入があることも確かです。
それが嫌であれば、独立やフリーを目指せばいいだけです。
今さらである「社畜」のことをつらつらと書きましたが、いくら多くの時間を会社に拘束されていたからといって、必ずしも社畜というわけでは当然ありません。
収入面で恩恵を得られるから頑張れる人も居るし、その仕事が好きで収入よりもやりがいを感じている人も居ます。
そのような人は別にどうでもいいのです。ある意味うらやましいかもしれません。
それに、時として仕事はやむ得ず頑張らなくてはいけない時期もあります。社会とはそのようなものであり、些細な不平不満を並べていても仕方のないことも多々あります。
しかし、満足いく収入がなく、時間の拘束や、心身ともに過酷な仕事であれば、結局はいいように使われて朽ち果てるのがオチです。もちろん自分の能力 にもよりますが。
ただ、体を壊し、心を病むような働き方から、自分を守るのは、結局は自分しか居ないということなんですよね。
どんなに自分を犠牲にして働いても、いざとなったら会社は助けてくれません。
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