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子供への「愛情不足」には注意が必要!愛情不足で育った子供は大人になってからも弊害をもたらす


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子供への愛情とか、愛情不足なんて言われても、まず大抵の親は子供への愛情はしっかりもっているはずです。

しかし、それでも日々の忙しさに追われて「愛情不足」で育ってしまう子供もたくさんいることは事実なのです。

 

子供への「愛情」と「愛情不足」

昨日は「承認欲求」について記事を書きました。

大人になってからも「自分を見て見て~」「自分を褒めて~」といった欲求についてです。

「自分を認めてほしい」「他者に認められたい」という承認欲求は他者に振り回されるだけ - 空飛ぶ畳

 

この「承認欲求」が強くなる背景の一つに、子供時代の親からの「愛情不足」が原因になっている場合もあります。

子供時代と書きましたが、大事な時期は幼少期です。

幼少期とは何歳ぐらいか正確には知りませんが、だいたい2歳~5歳ぐらいでしょうか。

そしてそこからの小学生ぐらいも子供にとってまた大切な時期です。

子供のころに親の愛情をしっかりと受けて育つのとそうでないのは、それなりの影響があると私は思っています。

では親の愛情とは何か?

これは無条件で子供を愛すること(いわゆる無償の愛)であり、母性と呼んでもいいかもしれません。

ここでいう母性とは子供への無償の愛情を指しています。(実際の定義は知りません)

これは「母性=女性のみ」というわけではなく、男性にも母性は備わっていると思います。

要は子供に対する親の愛情のことです。

何かを期待するとか何かしらの見返りを求めるとか、そういったことではなく、無条件での無償の愛情のことです。 

では無条件で子供を愛するとは何か? を考えると、それは「子供の全てを受け止める」ことなのではないかと思うのです。 

子供を思っての愛情であるのなら、「叱る」のも愛情であり、「褒める」のも愛情であり、「悲しむ」のも愛情です。

それが本当に子供のためであり、親の自分自身のご都合でなければ、ケンカだって良いのです。

でも子供への愛情で一番大事なのは子供の存在を「認める」ことです。

認めるということは「全てを受け止める」 ことです。

良くも悪くもです。

そして子供の存在価値を大いに認め、それを子供に伝えることです。

 

子供の教育については、「叱る」「褒める」といったことが表面に出やすく、クローズアップされがちですが、ある意味そんなものは2次的要素であり、どうでもいいことなのかもしれません。

悪さをすれば叱り、良い行いをすれば褒める。

ただそれだけのことであり、当たり前のことなんだと思うのです。
(細かいことを言えば、叱る・褒めるタイミングなどはあるかもしれませんが)

このような表面的な「叱る・褒める・しつけ」などといった言葉が重要視されがちですが(このブログでも色々書いていますが)、「全てを受け止める、認める」といった要素は何となく疎かになりがちなことだと感じます。

私は、例え親の考えや行動が間違っていたとしても、それはそれで良いと思うし、しょうがないことなんだと思います。

親だって人間ですから間違うことはたくさんありますし、社会にも世の中的にも間違いや愚かな行為なんてものは溢れかえっています。

例え間違っていた言動であっても、そこに子供への愛情があったのであれば、私はそれは正しい言動であると思います。

そういうことは子供だって大きくなって成長してくれば理解できます。

しかし子供への愛情よりも、自分自身の保身などを優先したり、子供への態度を自分の都合で疎かにしていた場合、子供はきっと愛情不足を感じています。

こういったことは表面上ではなかなか気づかないものです。

親も子供も。

だからこそ注意が必要なんだと思います。

いくら愛情を持って子供と接して育てていても、子供の言動からはそれがなかなか感じられないかもしれませんが、しかし確実に親からの愛情は実を結んでいるのです。

表面上に出ない分だけわかりづらいですが、やはり違うのです。

逆に愛情不足で子供を育てていても、表面上は愛情を持っているように育てていたり、子供からも親の愛情を受け取っているように見えるかもしれませんが、実際は子供の愛情不足という実も確実に育っているのです。

だからこそ大人になってから、その愛情不足が段々と表面に何かしらの形で表れてくるのです。

 

子供への愛情不足に注意する。

子供の「愛情不足」とは、子供自身が自分の存在価値を感じ取れずにいることではないかと思うのです。

とはいっても親にだって親の都合があります。

それはそれでよくわかります。

親だって出来る範囲で精一杯頑張っていると思いますし、止むを得ない事情がある場合も多々あります。

自分はたくさん愛情を注いでいるという人も当然います。

しかし、親目線の愛情と、子供目線の愛情が必ずしも同じとは限らないかもしれません。

どんなに親が愛情を注いでも、それを子供が必ず受け取っているとは限りません。

逆に子供が愛情を欲しているタイミングに親は居ないかもしれませんし、気付いてあげれてないのかもしれません。

子供には子供の都合や感情があります。

 

では愛情不足を感じさせないためにはどうするか?

これは一概にはどうこう言えませんが、私の思うことは以下のようなことです。

  • 子供のすることの結果だけを重視していないか?
  • 子供の表面だけを捉えていないか? (気持ちまで考えているか?)
  • 子供と常に向き合おうとしているか?
  • 一人で良い子にしているかといって放って置く時間が長くないか?
  • 親の都合に振り回し過ぎていないか?
  • 子供に我慢をさせていないか?
  • それは本当に子供よりも優先させるべきことなのか?

ここに書いたようなことは、一見当然のようなことかもしれませんが、日々忙しさに追われている親からしたら、そう簡単なことではありません。

頭ではわかっていても、親だって完ぺきではありませんから無理なことは多々あるのです。

それはそれで良いと思います。

しかし、こういったことを意識するだけでも違うと思います。

幼少期というのはある意味一番子育てが大変な時期かもしれません。

しかし一番大事な時期でもあると思います。

「三つ子の魂なんちゃら」なんて言葉もそういった意味ではないでしょうか。

 

子供の悪影響な言動を何でもかんでも「愛情不足」なんて言う気は毛頭ありません。

しかし、幼少期にこのように自分自身の存在価値を満たされずに育った子供は、大人になってからも「満たされたい」「認められたい」といった承認欲求が強くなる傾向があると言われています。

それほど幼少期は大切な時期であるということです。

 

最後に

ごちゃごちゃと書きましたが、別に私も偉そうに言うほど出来てません。

日々勉強中であり、反省も多くします。

しかし、この愛情不足と言われているものが、子供のその後に影響することはよく言われていることでもあります。

  • 暴力的、攻撃的行為
  • 大きくなっても甘えん坊
  • 自立出来ない
  • 自分に自信が持てない、自虐的になる
  • 自己中心的

これらは「承認欲求」の表れでもあります。

 

子供の成長を早く促す必要もありませんし、子供のうちに人より優れている必要もありません。

親に甘えられるのも小さいうちだけです。

であれば過保護なんて大いに結構ではないでしょうかね。