子供が産まれ自分が親になることにより多くの気づきを得ることが出来る。人間なんてそんなもん。
私は自分に子供が産まれるまで子供にはあまり興味がありませんでした。
別に子供嫌いだったわけではありません。ただ何とも思っていなかったというか、これと言って特別視するような存在ではなかったのです。
誰だってそうなのかもしれません。
自分が人の親になるまでは、自分のやりたいことを好きなようにやる人生でした。いわば自分が中心で何ら問題のない時期です。
それでも自分に子供が産まれると、否が応でも子供中心の生活になります。
嫁さんが妊娠し、お腹がどんどん大きくなり、そして出産。身近で子供を見て育てることにより、道行く子供や親子に対する見方が徐々に変わるようになりました。
関心が向くようになる
例えば、嫁さんが妊婦になるまでは、恥ずかしながら「マタニティーマーク」の存在すら知りませんでした。電車に乗っていてもよほど大きなお腹でなければ気づきませんので、妊婦の方に席を譲らなかったことも多かったはずです。
今ではマタニティーマークを付けた妊婦の女性が居ればすぐに気づきます。普段の意識の向き方が変わってくるのです。女性の歩き方で「この人妊婦さんだな」ということもわかります。
お母さんが赤ちゃんを抱っこ帯で抱っこしながら、別の兄弟の手を引いていたり、重い荷物を持っていたりする。
電車やバスなどでベビーカーを広げたり畳んだりとあくせくしている。
外やお店などで、小さい子供が癇癪を起したり、泣きわめいたりして、困り果てている。
こういった場合でも、自分に子供が出来るまでは、正直「大変だな~」ぐらいにしか思っていなかったです。それどころか大半は特に何も感じていなかったと思います。
しかし自分が経験することにより、その大変さが少しはわかるようになりますし、何より関心が向くようになります。
他所の小さい子供が遊んでいる光景を見ると、つい微笑ましく思えたり、仲良く友達同士で遊べているかなど余計なことを気にしてしまったり。
これらは当然、自分が知らないこと、経験していないことには目が向かないのもしょうがないことではあります。
自分が経験して初めて、他人事ではなくなるということなのでしょうか。
そういう意味では、うちの子はまだ幼稚園年少です。ですので小学生ぐらいの子供には、まださほど目が向いていません(笑)
やはり自分の子供の成長に合わせるかのように、同じぐらいの子供、またはそれより下の成長を経験した子供に目が向きます。
きっと自分の子供が小学生になれば、他所の小学生も気になってくるのでしょう。
経験することによりわかることがある
学校、保育園・幼稚園の先生や、甥・姪など、子供と接する環境にいない人は、自分に子供が産まれるまでは、子供に関することや子供を持つ親の心境などは理解できるはずもないのかもしれません。
ある程度想像することなどは出来るかもしれませんが、私のようにそもそも関心が無ければ無理です。
自分が経験することによって初めて、同じ環境に居る人の心境などがわかるようになるのですよね。
逆に言うと、自分の立場や考えを人に理解してもらえなかったりする場合は、まだその人が経験していないから、という見方も出来るかもしれません。
妊婦であるにも関わらず席を譲ってもらえなかったり、赤ちゃんが人の居るところで泣いているのを聞いて不愉快になる人だったり。そのような場合に「ただ気づいていないだけ」「よくわからないだけ」と思えれば、またストレスの抱え方も変わってくるのかもしれません。
こういった「経験」は、何も子供に関することだけではないのでしょうね。
仕事でも自分が上の立場になって初めて上司の心境がわかったり。仕事が上手くいかなくなった時に仕事が出来ない人間の気持ちがわかったり。
病気や怪我で思うように身体が動かなくなったら、同じような悩みを持つ人の気持ちがわかったり。
自分の夢に向かって突き進んで行くことにより、考えの甘さや困難の辛さを痛感したり。やってみたら実はそんなに大したことはなかったと感じたり。
このように考えると「経験」はとても大切なことなんでしょうね。
最後に
このような話はよくある話です。
子供が産まれたことによって、子供の可愛さがわかり、子供という弱い立場に対する自分の考え方が大きく変わったりもしました。
逆にストレスが増えたり、夫婦喧嘩が増えたり、といったこともあります。
これら全てひっくるめても「経験」することにより得られることです。
ストレスや喧嘩といったことも決して悪いことではないと思っています。もちろん嫌な思いはしますが、それにより多くの気づきを得ることが出来ます。
子供という「自分の思い通りにいかない存在」がドスン!と現れたことにより、親も色々と成長出来るというお話でした。