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空飛ぶ畳

日常の思ったこと、育児・子育や仕事のことなどつらつらと書いていきます。

8月というこの時期は色々な思いを馳せてしまう。そして忘れてはいけないこと。

気になったこと

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最近歳をとったからなのか、妙に涙腺がゆるくなりつつあります。歳だな・・・

 

この8月という時期は、過去に様々な犠牲者を多く出している月であり、かつ、お盆の時期とも重なる、なんとも色々な思いを馳せてしまう月であります。

 

第二次世界大戦の原子爆弾投下

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広島への原爆

広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦太平洋戦争)末期の1945年昭和20年)8月6日午前8時15分に、アメリカ軍が日本の広島市に対して投下した原子爆弾(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。

これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされる。

広島県、広島市などを指す「広島」が「ヒロシマ」と片仮名表記される場合は、広島市への原爆投下の関連での言及が多い。

広島市への原子爆弾投下(Wikipediaより) 

 

長崎への原爆

長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に、アメリカ軍日本長崎県長崎市に対して投下した原子爆弾(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。これは、実戦で使われた人類史上二発目の核兵器である。この一発の兵器により当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した。

長崎県、長崎市を指す「長崎」が「ナガサキ」と片仮名表記される場合は、長崎市への原爆投下を指すことが多い。

長崎市への原子爆弾投下(Wikipediaより) 

 

この原爆は広島と長崎とを合わせて20~30万人と多くの犠牲者を出しています。

そして生き残った方たちのその後の人生も、それはとても辛いものであったはずです。

被ばくによる苦しみ、家族など身近な人の死、差別など、そして世の中は戦争時の混乱の最中です。

如何にテレビや書籍などで後世に伝えられたとしても、それは私たちの想像をはるかに超える苦しみであったかと思います。

 

 

第二次世界大戦の終戦

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)は、1939年から1945年の6年にかけ、ドイツ日本イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス連邦フランスソビエト連邦アメリカ中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の戦争となった。

第二次世界大戦(Wikipediaより) 

 

日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日終戦の日と称され、政治団体NPO等による平和集会が開かれる。

日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。

    1. 1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
    2. 1945年(昭和20年)8月15日玉音放送昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
    3. 1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書休戦協定)に調印した日。
    4. 1952年(昭和27年)4月28日日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。
終戦の日(Wikipediaより)

 

引用にもあるように、一般的には8月15日が終戦の日とされています。

多くの日本人がこの戦争で犠牲となり、空爆・空襲により多くの一般人も犠牲となっています。そして先に書きました原爆投下です。

戦争に関する情報もテレビや書籍、映画と様々にあります。そしてどの戦地もそれは正に地獄のような日々であったとあります。その中でも特に悲惨な戦地と言われいるところが硫黄島です。

映画にもなりました。

 

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しかし実態は、とても映画では表現しきれない(再現しようがない)ほどの悲惨さであったということです。

そしてこの第二次世界大戦による犠牲者は、軍人・一般人合わせて、200~300万とも、それ以上とも言われています。

 

 

日航機墜落事故

日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した航空事故である。

日本航空123便墜落事故(Wikipediaより)

 

先日もテレビで特番がやっており見ていました。その中で、父親をこの事故で亡くした小学生の息子が、ショックで立ち会えない母親の代わりに、父親の死亡確認を行っている場面がとても印象的でした。

当時の実際の映像も流れていました。そこには父親の死亡確認後に泣き崩れそうになりながら人に支えられバスに乗る姿がありました。もう涙なくして見れませんでした。

原爆や戦争もそうですが、亡くなられた方たちもとても無念で悲しいことですが、残された家族たちも、それはとても辛い人生が待ち構えています。

このような方たちに思いを馳せるとなんとも言い難い気持ちになります。

この日航機事故で亡くなられたのは520人です。生存者は4人です。

 

 

お盆

お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。

一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養儀式神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる。

お盆(Wikipediaより)

 

引用にもあるとおり、お盆は「先祖の霊を祀る」行事です。

お盆の日付については、地域により異なることもありますが、一般的には8月15日を中心とした数日間と言われています。

自分の親、祖父母など、そして更なるご先祖様を祀ることであり、多くの方がお墓参りなどするかと思います。

 

 

他にもあるかもしれませんが、8月という月は多くの故人を追悼する期間であり、そして悲惨な戦争や事故に対し、このようなことは二度と繰り返してはいけないという思いを再認識する期間でもあります。

これらのことは時代の流れと共に、徐々に薄れていってしまうことかもしれません。

それはどうしてもしょうがないことかもしれませんが、やはり出来ることなら忘れてしまってはいけないことだと思います。

 

 

最後に

この時期になると毎年何とも言えない思いと共に、身の引き締まる思いになります。

そして妙に涙ぐむことが多くなる時期でもあります。

正直20代の頃は、そこまで意識を向けたことはありませんでした。しかし30代を過ぎた辺りから徐々に”人の死”について思いが強くなっています。

歳をとったこともあるかもしれませんが、それは徐々に死に近づいているということですよね。そして祖父母や親など身内の死も増えたり、そして近づいたりしています。

きっと他の多くの方も、歳と共にこのように感じているのではないですかね。

 

今現在、この世に生きている人々が、多くの故人に思いを寄せることはとても大切なことであり、そして命の尊さを思い改めるべきなんだなと思いました。