過保護と過干渉。危険なのは「過干渉」!そして過干渉の親が増えている!
よく言われていることではありますが、子育てにおける「過保護」と「過干渉」について書きたいと思います。
昨今の子育ては過保護よりも過干渉が盛んになっていると言われています。私も同意見です。
過保護と過干渉でも、子育てで親が注意していること、気をつけようとしているのは、どちらかというと「過保護」の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
「子供を甘やかしたらわがままに育ってしまう」
「何でも子供の欲求を満たしてあげたら自律が出来なくなってしまう」
子供を甘やかさないようにしなければ、なるべく厳しくしよう、その結果、気がついたら実は「過干渉」になってしまっている。そんな親も増えている気がします。
とは言ってもこれらの傾向というのは、何も私たちだけの世代の話しではなく、私たち親の世代にも言えることではあるかと思います。
「過保護」が良くないという勘違い
過保護とは一般的には子供の欲求のほとんどを満たして上げ、子供を甘やかすことと言われています。
ではなぜ過保護が良くないと言われているかというと
- 過度に甘やかすことによりわがままに育つ
- あれも欲しいこれも欲しいと子供の欲求に際限がなくなる
- 大人になっても甘ったれが治らない
- 甘えが取れないからいつまで経っても自律できない
ざっとこんな感じでしょうか。
しかし私の考えとしては、上記のような甘ったれに育つ人間というのは、実は過保護が原因ではないと思うのです。このように思う意見も実際に多いようです。
大きくなってもわがままや甘ったれの原因というのは、過保護であるかどうかというのもあるかもしれませんが、それよりも「親の無関心」が原因であるのです。
子供は本能的に親の愛情を欲しています。
そして親の愛情により子供は健やかに育つと昔からよく言われています。
この子供に対する親の愛情が薄いと、育児放棄的になるか、もしくは逆に何でも与えてその場をしのごうとする「過保護的な行動」になるかのどちらかではないでしょうか。
つまり同じ「過保護的な行動」であったとしても、親の愛情があるか、または親の無関心かにより、子供に対する影響は正反対になるということでです。
このように考えると、一般的に「過保護は子供をダメにする!」と言われているのは、実は後者の「親の無関心」が原因であったと思います。
では、親の愛情があれば過保護でも問題ないのか?というと「問題ない」と私は思っています。
むしろ小さいうちに子供の欲求を満たしてあげれば、子供は満足して過度に欲求をすることはなくなってくるということです。
いつまで経っても、大人になっても欲求が収まらないというのは、先に書いた「親の無関心」が原因のひとつにあり、いくらモノを与えても子供は満たされないということです。
子供が本当に欲しいものはモノではなく、そのモノを通して、またはモノなどではなく、親の愛情を感じて満たされるということだと思うのです。
子供がお母さんのオッパイを欲しがれば与えればいいし、子供が抱っこを要求すれば抱っこしてあげればいいし、何かを欲しがれば出来る範囲で与えればいいと思います。
ただし、何でも子供優先というわけではなく、親の思いは思いとして率直に子供に伝えることも大切です。
例えば経済的に無理のあるものを欲しがっている場合は「買えない」ことをきちんと伝え、代わりに手作りにチャレンジするとか、抱っこしてあげたいけど大きな荷物を持って無理な時や体が弱くて難しいときは、家で座ってなら出来ることを伝えたりなどです。
無理のない出来る範囲での「過保護」であれば、私は大いにやってあげるべきだと思います。
そしてそれらの過保護は「子供の自律」の妨げにはならどころか、逆に子供の心が満たされ、より充実されて成長していくのではないでしょうか。
ちなみに、危険なこと、人としてやってはいけないこと、これらは「しつけ・教育」の問題であり、過保護とはまた違った性質のことなので、それらと混同しないで読んでいただければと思います。
さらに言うと、子育ての成果・結果(と言うと変ですが)という目に見える形というのは、タイムラグが生じます。
つまり、子供を大切に過保護に育てたとしてもその時は子供の甘えが瞬時に消えるわけではありません。ですが、何年も経って子供がどんどん成長してきたときに徐々にその効果(親の愛情によって満たされている心)が現れてくる気がします。それを実感できるかどうかはまた別ですが。
ここは見極めが難しいところではありますが、
注意しべきは「過干渉」!
さて、過保護と過干渉はつい混同されがちではありますが、その性質はまったく異なるものです。
私も人の親になって気づいたことではありますが、親による子供への過干渉が周りの家庭を見てもとても多いと感じます。
過干渉とはその名のとおり「過度に人に干渉すること」です。
この過干渉は大いに子供の「自律」の妨げになります。
一般的な子供への過干渉の例を言うと
- 子供が欲求していないことに良かれと思い口を出す
- 必要以上に子供の言動に口を出す
- 先回りして良し悪しを植えつける
まぁ似たり寄ったりの例になってしまいました。
「過干渉」の何がいけないかと言うと、まずは子供の考えや思い、意見を無視して干渉するということです。これは子供への「無関心」にもつながります。
そして、ここで難しいのは「しつけ」と「過干渉」の境です。
しつけはもちろん大事です。
子供に口を出したくなくても、しつけの一環として口を出さざるをえないことは当然ありますし、子供の意見だけを尊重するわけにはいきません。
それはもちろん大事なことであり、親としてやっていかないといけないことではあります。
しかしここで言う「過干渉に注意」というのは、親の考えや価値観を過度に植えつけようとすることです。
人は誰だって性格や考え方、価値観は異なります。それは親子だって同じことです。
過干渉の危険な要素は、その親の価値観を子供に植えつけようとし、親の価値観に反すれば注意して正そうとしてしまうことなのです。
更に過干渉を例えると、
ごはんを食べるのが遅いから「早く食べちゃいなさい」と言うのはいいが、早く食べるように手伝ったり。食べる順番をいちいち指摘したり。
今日は暑いから「こっちの服にしなさい」と言うのはいいが、それを過度に強要したり。
子供がたいして興味がないのに、親が良かれと思うことで遊ばせたり、習い事をさせたり。(必要以上に強要するということです)
特に害のない子供の言動に対して、親が不愉快に思うことは止めさせようとしたり。
何かにつけ、あーしろこーしろと指示をしたり。
この例でいうと、「しつけ」「過保護」「過干渉」の違いが何となくわかるのではないでしょうか。
これらは「しつけ」でも「過保護」でもなく「過干渉」です。
過干渉でよく言われているのが、親の子供に対するマインドコントロールです。
その結果、子供は何が良くて、何が悪いかの基準を正しく理解することが出来ずに、親の顔色が基準になってしまうのです。
ですので、何が危険かと言うと、
子供は自分の考えで行動出来なくなる恐れがあると言うこと。
自分(子供)の価値観で良し悪しを判断することを認められず、親の価値観が優先されてしまうということ。
これでは子供の「自律」が育たないのは当然ではないでしょうか。
しかしこの手の親は、なぜ子供が自律できないのか?が理解できてない場合が多いです。
結果的に更に親の干渉が増える。そして子供の自律は更に遠のくという悪循環が生まれてしまうのです。
最後に
この手の話はさまざまな意見や考え方が出るところだと思うので、あくまで私の個人的意見と思っていただきたいです。
子育てに正解はなく、親や子供の性格や育つ環境によってさまざまです。
結局この記事で言いたかったことは、「過保護」「過干渉」「しつけ」は、似たような感じだけどもまったく別ものであるということです。
そして「過保護」がダメと言われる性質には実は誤解があるということ。
「過干渉」と「しつけ」の違いを区別出来ずにいる親が増えているということ。
です。